最新ゆきこのオススメ2014年

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ええ〜っ、日本とドイツこんなに違っていいの??...。皆様の世界観が変わる!!!そんな 「ドイツ」とのドラマティックな出会いを必ずお約束させていただきますので、先ずは何でもご相談頂ければ幸いです。メールでも、お電話でもお気軽にどうぞ。心よりお待ち申し上げておりま〜す。

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音楽と商業の町ライプチッヒ

東ドイツの大阪 活気に満ちた歴史のある町ライプチッヒ

歴史の要所に登場して来たライプチッヒって、どんな町?

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★★市の立つマルクトに連なる旧市庁舎1557年創立。


もうかりまっせ ライプチッヒ

ライプチッヒは地の利がよく、神聖ローマ帝国有数の商都として発展。

その当時、王侯貴族や司教達の座として、市民権を獲得したのではなく、商人の町として、すでに1165年には都市権を取得していました。その後、商人を守るために教会が建設されていきました。このドイツ版大阪商人の「もうかりまっか〜」のスピリットは、さらに発展し、15世紀にはヨーロッパでは初めての定期市、メッセと言われる見本市がここから始まったのです。この見本市は、神聖ローマ皇帝マキシミリアン1世も奨励し、帝国内初めての帝国立メッセ、見本市となりました。

市庁舎の北側には、株式取引所が、17世紀後半に建てられ、盛んな商業の様子が今も伝わって来ます。この株式の前には、ゲーテの像が立っており、商業のみならず、芸術文化も多いに国際的に多岐にわたって、発達していったのです。

DHL 皆様ご存知でしょうか? そうです、あの宅配の会社です!このDHLは、このライプチッヒ&ハレの空港を24時間使ってのビジネスを展開。なので、ここライプチッヒはそれでかなり潤っているとか。高速道路もベルリンライプチッヒ間、ビュンビュン飛ばせるいいのができました。ドイツの高速道路には、基本的に制限速度がございません。そう言う近因、遠因がある、歴史は繰り返される? 笑いの止まらない!!ライプチッヒ!!

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★★音楽の町、ライプチッヒ


トーマス教会

少年合唱団というと、日本ではウイーンが有名ですが、ここライプチッヒに、トマーナー合唱団という800年の歴史を持つ合唱団があります。ヨハンセバスチャンバッハも1723年から亡くなる1750年までライプチッヒに住み、様々な音楽活動をしました。そのトーマス教会のオルガン奏者、ライプチッヒ大学の音楽教師、トーマナー合唱団以外にも日曜日に歌う聖歌隊のコーチ、等など。このトーマス教会には、バッハが亡くなった約100年後に、メンデスルゾーン、シューマンの力により、バッハの記念碑が作られました。毎週金曜日に、モテッテという小さなミサとそれに伴う合唱を聴くことができます。

バッハ博物館

クラシック音楽ファンのみならず、ヨハンセバスチャンバッハの生き方が具に分かり、その当時のライプチッヒの時代背景も掌握できる博物館です。27年間このトーマス教会の音楽監督のみならず、世界の音楽史上に貢献する程の業績を残したヨハンセバスチャンバッハ。彼の筆跡も残っており、クリスマスオラトリオ、マタイ受難曲等のオリジナルの楽譜がご覧になれます。この博物館は、世界的な規模でバッハの研究をしているバッハ教会に属します。毎年、6月にはバッハフェスティヴァルが開かれ、バッハファンを魅了してやみません。

バッハの残した「コーヒーカンタータ」という曲の背景は、ちょうどライプチッヒで、コーヒーを飲むようになり、そのコーヒーを讃えたもの。その当時コーヒーは、何処でも手に入ることができず、ベルリンのプロイセン王国の王様は、丁度このときライプチッヒから買い付けていたんです。そんなクールな歴史のあるライプチッヒ!!

メンデルスゾーン博物館

メンデルスゾーンは、ユダヤ人としてハンブルグに生まれ、祖父は大哲学者、父は銀行員として裕福なまた学術的にも優れた家系に生まれ育ちました。この家で作曲した中に、オラトリアムエリアスがあります。毎週日曜日にここの居間でコンサートが開かれ、親友のロベルトシューマン、クラーラシューマン、ワーグナーもここを訪れ音楽を奏でたということ。また展示してある家具は、オリジナルで、フェリックスメンデルスゾーンの家族が、好んで夏のバカンスを楽しんだ、スイスのインターラーケン。そこで描いた水彩画もあります。

メンデルスゾーンの姉のファニーも有能な音楽家であり、作曲をした後、一番始めにコメントをもらっていたという筆跡もご覧になれ、メンデルスゾーンのあまり知られないプライベートを知ることができる博物館です。

シューマン博物館

1840年、クラーラのお父さんに反対されていたシューマン夫妻は、ついに結婚にたどり着き、移り住んで4年間住んだのがこの博物館になっていた家でした。その間、シューマンは、独創的に作曲をし、有名な交響曲「春」もここで作曲しています。それを、親友のフェリックスメンデルスゾーンガ指揮をし、ライプチッヒゲバントオーケストラが演奏し、一躍有名になりました。その模様も展示されています。またロベルトシューマンは、「ノイエ ツァイト(新時代)」という名前の音楽新時報を発行していたことも、合わせて展示されています。これは約10年の間自力で出版され、古い伝統的保守的な楽団を鋭く批判するもので、文才のあったシューマンが英筆をふるい、革命的な存在で、音楽会に多いに新風を送りました。

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★★ライプチッヒ ア ラ カルト


カフェバウム

ライプチッヒに一番始めにできたカフェ。珈琲の木という名前のカフェは、もともと1500年にできた建物で、お家のどアも小さく、大きく傾いている壁や柱に、来し方のライプチッヒに思わず、思いを走らせます。400年以上も前の建物にムードは満天。3階には、珈琲の歴史博物館があり、ライプチヒのあるザクセン王国、ベルリンのあるプロイセン王国などでの、カフェの歴史が垣間見れます。ザクセン地方の名物ジャガイモのお団子に。牛肉の煮込み、赤キャベツの煮込みがオススメです。

バーテルスホフ

ライプチッヒの旧メッセの建物の中にあり、一番古〜い老舗。バーテルスホフは、1523年位建てられた物ですが、レストランは1750年に始まったとか。ここのザワークラウトは、とっても美味しく、格別でした。焼きソーセージについていましたが、ハーブが聞いていたのとフルーツと一緒につけ込んだ物らしく、果物の甘さがキャベツにマッチしていました。

アウアーバッハ

メドラーパッサージというショッピングセンターに、アウアーバッハケラーというレストランがあります。パッサージはメッセ用に作られた建物でした。ドイツの生んだ大文豪ヨハンヴォルフガングゲーテも訪れたことのあるレストランで、後に彼の作品「ファウスト」の中で、このライプチッヒについて、小さなパリのようにおしゃれで、知的好奇心を刺激するよい所。とほめています。 ここのレストランの隣りが、ワインケラーになっていますが、ワインケラーとして、すでに16世紀からあったようです。

ライプチッヒ ブックメッセ

ドイツ最大の本の見本市。歴史をひもとくと17世紀までさかのぼります。このメッセの特徴は、著者と購買者がこの見本市で出会う!そんな工夫がしてあります。その一例として今年からまんがコンベンションが開かれるようになりました。この見本市で、ドイツ文学賞の受賞が行われます。毎年3月後半に開催

上の写真は、ライプチッヒ株式取引所の前のゲーテの像


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